ひまわりいろ

日々のいろいろな諸々。

母のこと

ブログ開始早々、こんなことを書くのも何だが、私は両親と距離を置いている。

いろいろと悩みに悩んだ末、今の距離になったのでもう誰に何を言われても何とも思わないが、ここに至るまでは相当悩んだ。(それは追々書くつもり。)

 

うちの両親は客観的に見れば、ちょっと過干渉なのと神経質ゆえに精神が不安定になって言動がアレなくらいで、そこまでひどい親ではないと思う。

裕福ではないのに習い事や塾に行かせてくれて、東京の大学も出してもらった。

おそらく、すんなり20代後半くらいで結婚して出産していれば、私も両親に感謝するようになったのだろうなと思う。

しかし、残念ながらすんなり結婚しなかった(笑)ので、いろいろと考える時間が出来てしまった。

その余分な時間で「私の親は毒親ではないか?」と思ってしまったのだ。

 

毒親本を読み漁り壮絶な毒親の方々の存在を知って、うちは「プチ毒親」くらいかな、という程度であるということは分かったが、プチであろうが私にとっては毒であり、近づきたくない存在なのだ。

読み漁った毒親本のうち、田房永子さんの本は本当に読みやすくて面白かった。

その田房さんの新連載を読んで、私のプチ毒親エピソードが思い出されて、どうしても心にとどめておけなくなった。

 

『「男の子」の育て方を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました』

 

「娘より息子がかわいい」というZさんの告白。

私の母も、弟の方をかわいがっていた。無意識のうちに。

というより、長女気質でしっかり者(自分で言うのもアレだが、昔から本当にしっかりしていた)の私とボーッとした弟がいたら、そりゃボーッとした方にあれこれ手を出したくなるだろうし、自分のお腹から出てきた2人の子に差があれば、そりゃ足りない子の方を補いたいと思うだろう。

 

それは分かる。

 

しかし私の母は残念ながら、その思いが強すぎたのか私の心に忘れられない傷を残してくれた…。

当時私は小学4年生くらいだったと思う。ということは母は30代半ばだっただろうか?

母の日に、プレゼントを買った。

母に似合うひまわりのトートバッグを。

母が好きそうなデザインで、きっと喜んでくれるだろうなと思って、すごくウキウキしながら差し出した。

 

そうしたらなんと開口一番「なんであんたは○○○(弟の名前)と一緒にプレゼントを買ってこなかったの!?」と怒られた。

弟もなぜかそれに乗じて「自分は何を買えばいいの?」とか言い出して一緒に私を責める。

母は「ほらー、こういうことになるでしょ」と私を責め続けた。

 

当然私は泣いた。自室に籠もって何時間も泣いていたと思う。

なぜプレゼントをあげて怒られなければならないのか。

結局母から「ありがとう」も「ごめんね」もなく、そのトートバッグはいつの間にか、しれっと母の図書館用バッグになっていた(図書館から借りてきた本を入れていた)。

 

これを読んでいる方は、そんな小さなこと?と思うかもしれないし、こんなことが忘れられない自分も嫌だ。

でも、母の日にプレゼントをあげて怒られるという経験は絶対に忘れられない。

これを書いている今も悲しいし、怒りで震えてしまう。

 

これが弟だったらきっとこんなことは言われなかったはずだ。

母は、しっかりしすぎて調子に乗りがちだった私に釘を刺したかったのだと思うが、あんなやり方でなくても良かったと思う。

一度「ありがとう」と言ってから「今度は○○○(弟)と一緒に選んでくれると嬉しいな」とでも言えば良かったのに。

 

きっとちょっとは「しまった」と思っていたのだと思うが、父も母もプライドの高い人で私や弟に真剣に謝ったことはほとんどない。

特に母は20代前半で私を産んだ上に精神的に幼いところがあり、いつも感情的で衝動的だった。

もうすぐ還暦になろうとしているがそれは変わらない。

 

私に対する愛がないわけではないのだが、それを上回る不安、執着、支配欲があって、先にそれが表に出てしまう。

 

自分がHSP(Highly Sensitive Person)であると自覚して、両親も同じだと気づいたのだが、両親ともささいなことですぐに動揺する。

そしてその動揺を激しい口調でそのまま口にしてしまう。

他人の前だと多少は抑えるようだが、子どもの前では全部出してしまう。

というかその衝動を子どもにぶつけることで緩和しているのかもしれない。

 

そんないろいろがあり、疲れてしまって距離を置くにいたった。

両親とのことはまた書きます。